今日はウクライナの平和を願って『知恵』についてお話ししようと思います。
知恵は、人間だけに与えられた神様からの授かりものである。この知恵を育むことが人類を救うことにつながる。願って平和が訪れるのではない。授かった知恵を実践してこそ願いが現実となるのだ。
知恵を教えると言うことは、知恵の使い方までも教える使命を担っている。
知恵を悪いたくらみに使ってはいけない。
そして、悪い者達に使われてはいけない。
我々一人一人は、知恵の番人である。
考え方が多様化し、善悪が入り混じったこの世の中では、
法律で全てを裁くことは困難である。
そもそも法律というのは人が作ったルールであって、法律が正しいとは限らない。
そこで、我々一人一人が知恵の番人となる必要があるのだ。
そもそも知恵は神様が人間に与えたものなのだから、知恵の使い方も神様が教えてくれる。
心に神様がいる人なら、良心の呵責(かしゃく)を通して善悪を判断できるのではないか?
だから、知恵を育むことは、
同時に良心を育むことでもあるのだ。
では、どうやって良心を育むのか?
答えは、神様を信じることだ。
宗教を信じている人は沢山いるだろう。
しかし、宗教の教えは知恵の番人の判断基準にはなりえない。
それは宗教の争いになるだろう。
そうではなくて、我々が信じなければいけない神様とは、小さい子供達が信じている神様だ。
小さい子供達にとって神様とはサンタクロースの様な存在ではないだろうか。
このサンタクロースは祈る対象であり、願いを叶えてくれる存在だ。
良心の呵責を感じるのも、このサンタクロースに裁かれるのではないかと思うからだ。
このような健全な神様観を持つことによって、
良心が自らの法となり、知恵の恵みを最大限に受けられるのではないか。