こんにちは、まさるです。
今日は『オカルトに騙されないために知っておいてもらいたいこと』をブログを通してお話ししますね。
オウム真理教の一連の事件から30年程の歳月が経とうとしているが、今でもオウム真理教は名前を変えて信者を集めています。
もう昔のこと!宗教は信じてないし関係ない!と思っていませんか。
オウム真理教だけではありません。私達の身の回りには危ない思考というのが存在しています。
そこで!
暴力や武力には敵わないけれど、思考の戦いには勝利して欲しいとこのブログを書くことに決めました。
近年、メンターやメンタリストという言葉が流行っていますが、
そういう人達を心の拠り所にしている人は多いのではないでしょうか。
はっきり言いますが、人生においてはメンターを作ってはいけません。
メンターを作るという事は、自分一人では人生を生きられないと言うことです。
それが当たり前の社会になってはいけません。
2000年以前の日本がまさにそうでした。
オカルトブームで、人々はメンターを求めていました。
オウム真理教は、そういう中で勢力を強めていったということを、知らないといけません。
今日はその事だけでも知って欲しいのです!
後は読まなくても良いです。
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最後に、どうして私がメンターはいらない!と言うのかをお伝えします。
人は体を通して様々な表現をします。
私達には、表現の自由が認められています。
その表現の根本は何かというと、考えです。
人は考える事で、アイディアを生み出し、個性を表現します。
メンターを作るという事は、この考えに自分では無い人が入り込むという事です。
人には、その人にしかない個性というものがあります。
それなのに、メンターの個性に染まって良いでしょうか?
もちろん、心の不安はあるでしょう。
でも、だからメンターが必要だと言う人は軽率すぎます。
人は、心を通して感じとる動物です。
心が泣き、心が笑い、心が苦しみ、成長します。
成長したら、必ず完成します。
心の完成品は人それぞれで、正解などありません。
でも、メンターに心を支えられて、ようやく立っているような人にはなって欲しくありません。
今は辛くても『心の完成はある』と言うことを私は明言します。
誤解のないように一言付け加えますが・・・
完成とは、心に不安が無いことではありません。
そうではなくて、
心が不安を感じると、それが美しさに変わるのです。
そして、その心の不安を表現することは、最高の芸術作品を生み出したことに他なりません。
皆さんが、個性の芸術作品を生み出し、世界で活躍することを、心より祈っています。